ごましお

ごましお()さん 侍大将 サポーター   フォロー

城郭建造物が現存・移築・復元・復興・模擬を問わず大好きです。

ごましおさんのタイムライン

ごましお

ごましおさん が  丸岡城(福井県坂井市) の写真をアップしました(2024-11-08)

裏門(小松市興善寺)
裏門(小松市興善寺)

案内板より「大島山 興善寺
浄土真宗本願寺派
文明5年(1473)、西浦弾正左兵衛門尉興乗が蓮如上人に帰依して直弟子となり、文明年間(1469〜1486)に、現在の大島町で創建しました。その後、江戸初期に前田利常の命により、中町(現材木町)に移り、大正2年(1913)に現在地へと移転しました。興善寺には蓮如上人が越前吉崎を離れる際に貰い受けた阿弥陀五劫思惟座像、全国的にも珍しい本願寺第八代蓮如上人の四講中の御消息、第九代実如上人の一向一揆騒動御鎮めの御消息が残っています。また、山門は明治4年(1871)に越前丸岡城の裏門を買い取り、移築したものです。」

ごましお

ごましおさん が  小松城(石川県小松市) の写真をアップしました(2024-11-08)

北門(正覚寺)
北門(正覚寺)

案内板より「松任山 正覚寺
浄土真宗本願寺派
冨樫政親の末流にあたる竹森九平が前田利常の命により小松に居住し、江戸中期に上宮寺の了恩の門下となり、了雲と称しました。山号・寺号は、明治11年(1878)、第4世慶周の時に成立しました。昭和5年(1930)の小松の大火で、本堂・山門ともに焼失し、本堂は昭和54年に再建。現在の山門は、小松城の北門として使われていたものといわれ、正覚寺の前は、能美郡役場に設置されていました。」

ごましお

ごましおさん が  小松城(石川県小松市) の写真をアップしました(2024-11-08)

常磐門(稚松小学校)
常磐門(稚松小学校)

案内板(柱)より「常磐門
小松学問所以来二百年、教育と地域の伝統を感謝して小松城門と伝えられたものを修復建立した。」

ごましお

ごましおさん が  小松城(石川県小松市) の写真をアップしました(2024-11-08)

鰻橋門(來生寺)
鰻橋門(來生寺)

案内板より「藤園山 來生寺
真宗大谷派
青森県で天台宗の寺院として創建されましたが、証如に帰依して浄土真宗に改宗しました。その後、小松へ移転、現在地に建立されました。文政8年(1825)に建てられた経蔵は、市内でも数が少なく珍しいものです。また、寺門(小松市指定文化財)は小松城内の門を移築したもので、敵からの襲撃を防ぐ城門ならではの太い格子の窓があり、門裏には門番の住まいが確認できます。現存する小松城の数少ない遺構として貴重なものです。」

ごましお

ごましおさん が  福井城(福井県福井市) の写真をアップしました(2024-11-08)

山里口門櫓門
山里口門櫓門
ごましお

ごましおさん が  福井城(福井県福井市) の写真をアップしました(2024-11-08)

山里口門棟門
山里口門棟門
ごましお

ごましおさん が  福井城(福井県福井市) の写真をアップしました(2024-11-08)

舎人門
舎人門
ごましお

ごましおさん が  福井城(福井県福井市) の写真をアップしました(2024-11-08)

廊下橋
廊下橋
ごましお

ごましおさん が  福井城(福井県福井市) の写真をアップしました(2024-11-08)

大奥御座の間(瑞源寺書院内部)
大奥御座の間(瑞源寺書院内部)

ご住職様が団体ツアーの方々に説明されているところに混ぜてもらいました。寸法が当時のまま移築されている貴重な例のようです。福井県教育庁生涯学習・文化財課のホームページに大奥御座之間と呼ばれていた建物(部屋)を移築したというようなことが書いてあります。

ごましお

ごましおさん が  福井城(福井県福井市) の写真をアップしました(2024-11-08)

本丸御小座敷(瑞源寺本堂)
本丸御小座敷(瑞源寺本堂)

福井県教育庁生涯学習・文化財課のホームページに福井城本丸御殿大奥の小座敷を移築したというようなことが書いてあります。

ごましお

ごましおさん が最近のひとことを更新しました(2024-11-01)

こんにちは。ごましおです。
2024年9月28日(土)に開催された、令和6年度「東地域・家康公ゆかりの里」推進事業・歴史講演会「梓澤要と語る~歴史ものにおけるフィクションと史実〜」の動画配信を視聴しました。
梓澤要氏が来場者とディスカッションをしながら講演会を進めていくという、ちょっと変わった形式の講演会でした。歴史ものにおけるフィクションを認めるかどうかというのは人によって考えが分かれる難しいテーマだと思います。
お城に置き換えると模擬天守を認めるかどうかというようなことになるのでしょうか?ごましおは模擬天守は模擬であって復元ではないということを理解した上で、模擬天守はウェルカムというスタンスです。しかしそれは模擬天守を見てそこに本物の天守があったと勘違いする人もいることを許容しているということにもなりますね。
色々な意見があって勉強になりました。

ごましお

ごましおさん が団員ブログに記事「金山越し講演会レポート(「日本最古の天守」の部分のみ) 」を投稿しました(2024-10-19)

0.章立て 以下の章立てになっています。 1.はじめに こんにちは。城郭建造物大好き・ごましおです。 2024年10月6日(日)14:00〜15:30に岐阜県可児市金山小学校で行われた金山越し講演会「日本最古の城門と天守 […]

記事を読む

ごましお

ごましおさん が  美濃金山城(岐阜県可児市) の写真をアップしました(2024-10-07)

烏峰城裏城戸門(浄音寺)
烏峰城裏城戸門(浄音寺)

説明板に烏峰城の裏城戸門を移築したと伝えられる山門との記述があります。

ごましお

ごましおさん が最近のひとことを更新しました(2024-10-06)

こんにちは。城郭建造物大好き・ごましおです。
10/6(日)14:00-15:30 岐阜県可児市兼山小学校体育館にて三浦正幸広島大学名誉教授による金山越し講演会「日本最古の城門と天守」に参加しました。
可児市によれば金山越しとは美濃金山城を構成したさまざまな建物が犬山城に引き継がれたという歴史ロマンを指すようです。
三浦先生は金山越し肯定派のようです。ただ犬山城天守2階までが美濃金山城天守の移築で、3階以上は美濃金山城とは無関係と言っているように私には聞こえました。これは「国宝犬山城天守の創建年代に関する新発見」(編集 麓和善名古屋工業大学名誉教授)に書いてある年輪年代調査結果により「一重から三重までが一連で建設されたことが実証され」たとする見解と真っ向から対立する主張になると思われます。
三浦先生は木の年代についても詳しいようでしたので建築の知識のない私にはどちらが正しいのかは分からなかったです。
なお、話の中心は瑞泉寺に移築された美濃金山城の移築城門(写真)の方でした。こちらの方はとても面白かったです。

ごましお

ごましおさん が  美濃金山城(岐阜県可児市) の写真をアップしました(2024-10-05)

美濃金山城城門(瑞泉寺)
美濃金山城城門(瑞泉寺)
ごましお

ごましおさん が  犬山城(愛知県犬山市) の写真をアップしました(2024-10-05)

犬山城城門(運善寺)
犬山城城門(運善寺)
ごましお

ごましおさん が  犬山城(愛知県犬山市) の写真をアップしました(2024-10-05)

黒門(徳林寺)
黒門(徳林寺)
ごましお

ごましおさん が  犬山城(愛知県犬山市) の写真をアップしました(2024-10-05)

天守2階
天守2階
ごましお

ごましおさん が  犬山城(愛知県犬山市) の写真をアップしました(2024-10-05)

松の丸門(浄蓮寺)
松の丸門(浄蓮寺)
ごましお

ごましおさん が  犬山城(愛知県犬山市) の写真をアップしました(2024-10-05)

内田門(瑞泉寺)
内田門(瑞泉寺)
このアカウントをフォローすれば「最近のひとこと」などの活動履歴をもれなくチェックすることができます。
フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

戦国の城の一生: つくる・壊す・蘇る (歴史文化ライブラリー)

戦国時代の城が築かれてからその役目を終えて廃城になるまでの「城の一生」を、文献史料を丹念に読み解いて探る一冊。築城の仕方、日々の使われ方や維持管理、不要になったときの処理の仕方、使われなくなった城の再利用まで、決して多く残されている訳ではない史料の中から浮かび上がってきて、攻城戦や縄張りだけではないお城の魅力を引き出してくれる。「城掟」から読み解く城のメンテナンスや警備、城兵に課せられた禁止事項などが興味深い。

こめつぶさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る