のり

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兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-02)

志都岐山神社
志都岐山神社

明治11年(1878)旧本丸付近に萩の有志が山口の豊栄・野田両神社の遥拝所を建立したのが始まりで、祭神は毛利元就・隆元・輝元・敬親・元徳の5柱と初代から12代までの萩藩主が祀られているそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-02)

万歳橋
万歳橋

明倫館の遺構で、多くの藩校と同じように聖廟の前に水を巡らし、その中央に石橋を架けてあったそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸・二の丸からの眺望
詰丸・二の丸からの眺望

二の丸より西の浜と長門方面を望む。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸・本丸と二の丸間の石段
詰丸・本丸と二の丸間の石段

この石段を境に、二の丸と本丸の間は土塀で区切られていたそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸・本丸からの眺望
詰丸・本丸からの眺望

詰丸・本丸跡より笠山を望む。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸・裏門跡
詰丸・裏門跡

本丸の東端にあり、裏門となる埋門があったそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸・貯水池跡
詰丸・貯水池跡

詰丸には井戸が無かったため、巨石の周囲を掘って貯水池を設けていたそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸・石切場跡
詰丸・石切場跡

詰丸の本丸にあります。ここで石垣の石材を調達していたそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸・二の丸跡
詰丸・二の丸跡

本丸の石段より撮影。二の丸には監視役の執務場所である要害番所と宿所である居小屋があったそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸・本丸跡
詰丸・本丸跡

指月山山頂にあたる場所で、藩主が要害登山時に儀礼空間や酒肴の場として用いた茶屋が建っていたそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸・要害門矢倉跡
詰丸・要害門矢倉跡

二の丸跡から撮影。矢倉内には緊急時に備え、武器類も配備されていたそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸・土塀
詰丸・土塀

土塀には銃眼があり、昭和41年(1966)に復元整備されたものだそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸・矢倉門跡
詰丸・矢倉門跡

山頂に到達して最初に現れます。石垣のところに石碑が建っています。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

重建大祖神廟記の碑
重建大祖神廟記の碑

明和7年(1770)、第7代藩主毛利重就によって建てられ、萩城鎮護の社として毛利氏の崇敬を受けていた仰徳神社は由来を記したものだそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-11-01)

詰丸登城口
詰丸登城口

本丸の北西にあります。ここから約20分ほど登ると、詰丸のある指月山山頂に行けます。

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のりさん の読者投稿欄「日本100名城・続日本100名城に未選定のお城で、あなたがぜひ訪れてほしいと推薦したいお城を教えてください(最大5城まで) 」への回答が公開されました(2024-11-01)

過去にも違うお題で触れたのですが、私がいくつかの山城を経験してその集大成として挑んだ大分県にある長岩城です。長岩城といえば「山城愛好家の聖地」や「日本一危険な山城」ともいわれているそうですが、危険なのは石積櫓と弓形砲座への道なので、本丸に行く分には石がゴロゴロしていて歩きにくいですが、そんなに危険ではないです。長岩城の石塁は、石材が鉄平石と呼ばれる、平らに割れる石が使われていて、特に東之台から本丸まで続く登り石塁は、大蛇が地を這うように延々と続いていて、次に行った中津城の攻城に力が入らないくらいずっと興奮していました。確かに石積櫓や弓形砲座も素晴らしかったですが、無理に行かなくても登り石塁だけでも見る価値は十分あると思います。記帳所にある帳簿を見たのですが、愛知県の方が「今度こそ石積櫓まで行きます!」と書かれていたので、何度も挑戦していらっしゃるようです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-10-31)

花江茶亭
花江茶亭

藩主の別邸にあった茶室を明治20年(1888)頃移築したものだそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-10-31)

天守台からの眺望
天守台からの眺望

天守台より北西方向を望む。堀が複雑な形になっています。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-10-31)

天守台
天守台

天守の礎石がしっかり残っています。5層の天守は2層の入母屋造の台座の上に3層の望楼型が載っている形で、1層目が石垣より大きい張出構造になっていて、赤瓦を葺き漆喰壁を持つ白亜の望楼型天守だったそうです。

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のりさん が  萩城(山口県萩市) の写真をアップしました(2024-10-31)

天守台の石段
天守台の石段

本丸より撮影。この石段を上がると天守台上に出ます。

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図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の〝天下人〟

中の写真、図が多くて「読みやすそう」と手に取りました。家康を生んだ松平氏について、戦国大名徳川家康の苦悩、家康を支えた家族、家臣団についてなど最新の情報で詳しく著されています。大河ドラマの予習としてもいいですが、「ここはこう解釈されたのか」と復習しながらよむのも一興です。今まで定説になっている「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の家康像とは、少し違った家康像が見えてきます。

黒まめさん)

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