姫路城
姫路城

[兵庫県][播磨] 兵庫県姫路市本町68


  • 平均評価:★★★★☆ 4.44(1位)
  • 見学時間:2時間5分(2位)
  • 攻城人数:6294(1位)

三国堀(三国濠)

三国堀(さんごくぼり)は「菱の門」から入ってすぐのところにある四角い堀です。
二の丸につながる本道(いの門)と間道(るの門)の要所をおさえる重要な位置にあります。
現在は防火用水として使われています。

名前の由来は、江戸時代に姫路城を築いた池田輝政が播磨、淡路、備前の三ヵ国から人夫を集めて築いたことによるそうです。

なお、三国堀はちょうど姫山(本丸)と鷺山(西の丸)の谷部にあたり、この堀の前身となる空堀ができたのは羽柴秀吉の時代にさかのぼるといわれています。

その谷部を利用した堀であった頃の様子が石垣からもよくわかります。

北側にあたる部分に、ちょうどV字型に石垣があらたに築かれているのがはっきりと残っていますね。

   

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悪党の戦旗 嘉吉の乱始末 (日経文芸文庫)

嘉吉元年1441年、時の将軍足利義教が赤松一族に殺される、いわゆる、嘉吉の乱からはじまる物語です。
播磨、備前、美作の守護を領していた大大名が、何故時の将軍を討ったのか、結果、討ち滅ぼされてから、お家再興のため、悪党と呼ばれながらも時代の流れに抗う様が描かれております。
昔よくいったお祭り、奇祭さいれん坊主が赤松一族の霊を弔うものとは知りませんでした。

デュラけんさん)

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